2013年7月14日日曜日

北越雪譜 初編 巻之上 1.1.12.雪蟄 (ゆきこもり)

1.1.12.雪蟄 (ゆきこもり)

凡そ雪九月末より降りはじめて、雪中に春を迎え正二の月は雪尚深し、三四の月に至りて次第に解け、五月にいたりて雪全く消えて夏道となる。 [年の寒暖によりて遅速あり] 四五月にいたれば、春の花ども一時にひらく、されば雪中に在る事、凡そ八ケ月、一年の間雪を看ざる事、僅かに四ケ月なれども、全く雪中に (こも) るは半年也。ここを以て家居 (いえい) の造りはさら也。万事 (よろずのこと) 雪を (ふせ) ぐを専らとし、財を費やし力を尽くす事紙筆 (しひつ) に記しがたし。

農家はことさら夏の初より秋の末までに、五穀をも収むるゆえ、雪中に稲を刈る事あり。其の (せはし) き事の千辛万苦、暖国の農業に比すれば百倍也。さればとて雪国に生るる者は、幼稚 (おさなき) より雪中に成長するゆえ、蓼中 (たでのなか) の虫、辛きをしらざるがごとく、雪を雪ともおもわざるは、暖地の安居 (あんきょ) を味わえざるゆえ也。女はさら也、男も十人に七人は是也。しかれども住めば都とて、繁花 (はんか) の江戸に奉公する事年ありて後、雪国の故郷 (ふるさと) (かえ) る者、これも又十人にして七人也。胡馬北風 (こばほくふう) (いなな) 越鳥南枝 (えっちょうなんし) に巣くう。故郷 (こきょう) の忘れがたきは世界の人情也。

さて雪中は廊下に [江戸にいう店下 (たなした) ] 雪垂 (ゆきだれ) を [かやにてあみたるすだれをいう] (くだ) し [雪吹 (ふぶき) をふせぐため也] (まど) も又これを用う、雪ふらざる時は、巻いて明かりをとる。雪下 (ゆきふる) 事盛んなる時は、積もる雪、家を (うずめ) て雪と屋上 (やね) と均しく平らになり、明かりのとるべき処なく、昼も暗夜 (あんや) のごとく燈火 (ともしび) を照らして、家の内は夜昼 (よるひる) をわかたず。 (ようやく) 雪の止みたる時、雪を掘りて僅かに小 (まど) をひらき、明かりをひく時は、光明赫奕 (こうみょうかくやく) たる仏の国に生たるここち也。此の外、雪篭りの艱難 (かんなん) さま/゛\あれど、くだ/゛\しければしるさず。

鳥獣 (とりけだもの) は、雪中食无 (しょくなき) をしりて、雪 (あさ) き国へ去るもあれど、一 (じょう) ならず。雪中に篭り居て朝夕をなすものは人と熊と也。



註:
・「蓼中の虫・・・」は、「蓼食う虫も好き好き」からとられている。もともとの意味は、蓼のような苦い草を好んで食べる虫がいるように、人の好みも色々あるものだ。


・「胡馬北風に嘶・・・」は、「越鳥南枝に巣くい、胡馬北風に嘶く」からとられている。
南にある越の国の鳥は北国に飛んで来ても、南の枝に巣をつくり、北にある胡の国の馬は、北風を受けると嘶く。

出典「古詩十九首其一 行行重行行」

参照リンク: 行行重行行:別離の詩


・「くだ/゛\しければ」
国会図書館・信州大学・ヘルン文庫・早稲田大学・全て、「/゛\」濁点ある。
岩波文庫のみ「/\」濁点なし。



参照リンク:
私の北越雪譜 雪こもり



単純翻刻

○雪蟄(こもり)

凡(およそ)雪九月末より降(ふり)はじめて雪中に春を迎(むかへ)正二の月は雪尚深(なほふか)し三四の月に至(いた)りて次第に解(とけ)五月にいたりて雪全く消(きえ)て夏道(なつみち)となる [年の寒暖によりて遅速あり] 四五月にいたれば春の花ども一時(じ)にひらくされば雪中に在(あ)る事凡(およそ)八ケ月一年の間(あひだ)雪を看(み)ざる事僅(わづか)に四ケ月なれども全く雪中に蟄(こも)るは半年也こゝを以て家居(いへゐ)の造(つく)りはさら也万事(よろづのこと)雪を禦(ふせ)ぐを専(もつはら)とし財(ざい)を費(つひやし)力(ちから)を尽(つく)す事紙筆(しひつ)に記(しる)しがたし農家(のうか)はことさら夏の初より秋の末までに五穀(こく)をも収(をさむ)るゆゑ雪中に稲(いね)を刈(かる)事あり其忙(そのせはし)き事の千辛(しん)万苦(く)暖国の農業(のうげふ)に比(ひ)すれば百倍(ばい)也さればとて雪国に生(うまる)る者(もの)は幼稚(をさなき)より雪中に成長するゆゑ蓼中(たでのなか)の虫辛(むしからき)をしらざるがごとく雪を雪ともおもはざるは暖地(だんち)の安居(あんきよ)を味(あぢはへ)ざるゆゑ也女はさら也男も十人に七人は是(これ)也しかれども住(すめ)ば都(みやこ)とて繁花(はんくわ)の江戸に奉公する事年(とし)ありて後(のち)雪国の故郷(ふるさと)に皈(かへ)る者これも又十人にして七人也胡馬北風(こばほくふう)に嘶(いなゝ)き越鳥南枝(ゑつてうなんし)に巣(す)くふ故郷(こきやう)の忘(わすれ)がたきは世界の人情(にんじやう)也さて雪中は廊下(らうか)に [江戸にいふ店(たな)下] 雪垂(ゆきだれ)を [かやにてあみたるすだれをいふ] 下(くだ)し [雪吹(ふゞき)をふせぐため也] 窗(まど)も又これを用ふ雪ふらざる時は巻(まい)て明(あかり)をとる雪下(ゆきふる)事盛(さかん)なる時(とき)は積(つも)る雪家を埋(うづめ)て雪と屋上(やね)と均(ひとし)く平(たひら)になり明(あかり)のとるべき処なく昼(ひる)も暗夜(あんや)のごとく燈火(ともしび)を照(てら)して家の内は夜昼(よるひる)をわかたず漸(やうやく)雪の止(やみ)たる時雪を掘(ほり)て僅(わづか)に小窗(まど)をひらき明(あかり)をひく時は光明赫奕(くわうみやうかくやく)たる仏の国に生たるこゝち也此外雪篭(こも)りの艱難(かんなん)さま/゛\あれどくだ/゛\しければしるさず鳥獣(とりけだもの)は雪中食无(せつちゆうしよくなき)をしりて雪浅(あさ)き国へ去(さ)るもあれど一定(ぢやう)ならず雪中に篭(こも)り居(ゐ)て朝夕をなすものは人と熊と也

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