ニ一 京山の余技と嗜好
そこで京山が茶人といふことに就て少しく書くが、前に録した祝融の災に罹つて、京山があらゆる物を失つた時分、しば/\牧之に書を寄せて、田舎の山村辺に籠細工(かございく)で極めてさびたものはあるまいか。それは自分が茶の時の炭取りに用ゐたいのであるとて図まで書いて、どうか捜してもらひたいと申し遣つたことなどが見える。京山も茶には余程趣味があつたものと見えて、忙しい間にも時々定つた日には師匠の茶会へも出席し、或は自分の家で友人と茶会を催した事が書いてある。それに篆刻の技もかなりの処まで練達してゐたらしく、牧之に与へた京山自刻の印が書簡の余白に四ツ五ツ押してあるのを見るに、今日では自分等その事に趣味を有してゐる者から云はせれば余り上手とは評されぬが、兎に角先づ一通りは出来てゐる。随分当時京山の文壇に於ける名声を聞いて、印を託した者も鮮くなかつたやうで、筆を執る忙しい間には、時に印を刻してそれを生計の糧にあてたものである。
十数年に亘る京山と牧之の交際に於て、互に物を贈答したことも多かつたが、牧之は常に味噌漬を贈つた。又寒晒し(片栗(かたくり))を贈り、時には塩引(しほびき)を贈つて居る。その他種々なる越後の土産を贈るのが例であつたが、京山が何時も頻りに御礼を云うて喜んで居たのは、重にこの味噌漬、片栗、塩引の三品であつた。当時は今の如くに小包郵便のあるわけではなく、飛脚が担いで江戸迄持つて行くのであるから、軽いものでなければ土産として甚だ不便である。片栗にせよ、味噌漬にせよ、塩引にせよ、分量は少なくとも重量は相当にある。それを何時も贈るので、京山は費用を構はずに贈つてくる此土産に対しては、いかにも御厚意有難しとて繰返し感謝してゐた。越後の味噌漬は其時分の江戸の食道楽者間にも余程珍とせられたものと見えて、味噌漬の紫蘇(ちそ)、大根、茄子の類を京山の台所では頗る大切にしてゐた事が其書簡に尽されて居る。
又寒晒しも、江戸には類似のものはあつても全く製法が違ふので、京山は下戸であつた所から別して之を喜んだ。且つ自分の娘共が大名に仕へて居たので、この味噌漬、片栗は必ず幾何かを割愛して娘たちに贈つたもので、娘は又それを殿様に献上して居る。或は片栗が若君の食料に自然供される所から、大名に於ても喜んでゐたといふ消息が常に牧之に報じてある。京山を通じて越後の産物が、当時西国大名の味ふ所となつたのも亦興味ある事を思ふ。
註:
・祝融: 火の神。転じて火事のこと。
・紫蘇(ちそ): しそ。
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