京山は又同一書簡の中に、いよ/\越後へ下つて牧之を訪ねる時の事を予め左の如く書いて居る。
さきの長き事を今申すも老の癖なり、わたくし命ありて、案内も無事にて、来年尊堂へ京水同道参上の節、相願ひ候約言左の如し
一、滞留の節被下候御膳、御家内末席につらなり、御一同様と同じ惣菜いたゞき度事、別段の御馳走は堅く御断り申上候、却つてうまくたべ不申候事
一、夜具絹類御無用、是等堅く御ことはり申上候、私共平日木綿夜具相用ゐ申候事、並に夜具の上げおろし自身に仕度事
一、万端客のあつかひは御免可被下候、御親族末席の者同様に奉希上候右の如くに候へば心よく足をのばし逗留もいたされ候、いか様粗末に御取扱被下候とも決して御恨み不申候、旅行者別て堪忍大明神と心掛申候、御一笑/\
京山の此書簡は実に委曲を尽したもので、幾んど対座して語るが如きは筆のまはる人の常であるが、特に此書簡を掲げるのは、京山の文才を示すと共に其人格の一端を知らせたい為である。京山は江戸に居ては当時頗る文名の高かつた人であるが、その割合に質素の生活で、酒も飲まず贅沢もせぬといふ平生の状が、此書中からも偲ばれるといへば云ひ得る。
御免可被下候(ごめんこうむりくださりべくそうろう)
奉希上候 (ねがいあげたてまつりそうろう)
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