大小の川に近き村里、初雪の後、洪水の災いに苦しむ事あり、洪水を此の国の
雪中洪水之図 (せつちゆうこうずゐのづ)
○そもそも我が
○又、仲春の頃の洪水は、大かたは春の彼岸前後也。雪いまだ消えず山々はさら也。
註:
・睡(ねぶり): 本文では、睡(ねふり) 濁点なし。
・掘揚(ほりあげ) : 除雪の際に出た雪を広場に積み上げること。
「1.1.09.雪を掃う」を参照。
・木鋤(こすき): 雪を掘る道具。ブナ材でできた先の平たいスコップ。
「1.1.09.雪を掃う」を参照。
・東雲(しののめ):夜明けのこと。
・初冬: 陰暦十月のこと。
・仲春: 陰暦二月のこと。
・三伏(さんぷく): 本文では、三伏(さんふく) 半濁点なし。
夏の極暑の期間。夏至(げし)後の第三の庚(かのえ)の日を初伏、第四の庚の日を中伏、立秋後の第一の庚の日を末伏という。(広辞苑参照)
・岩のごとく: 本文では、「岩のことく」濁点なし。
参照リンク:
私の北越雪譜 雪の中の洪水
単純翻刻
○雪中の洪水(こうずゐ)
大小の川に近(ちか)き村里(むらさと)初雪の後(のち)洪水(こうずゐ)の災(わざはひ)に苦(くるし)む事あり洪水(こうずゐ)を此国の俚言(りげん)に「水揚(みづあがり)」といふ余(よ)一年(ひとゝせ)関(せき)といふ隣駅(りんえき)の親族(しんぞく)油屋が家に止宿(ししゆく)せし時頃は十月のはじめにて雪八九尺つもりたるをりなりしが夜半(やはん)にいたりて近隣(きんりん)の諸人叫(しよにんさけ)び呼(よば)はりつゝ立騒(さわ)ぐ声(こゑ)に睡(ねふり)[ママ]を驚(おどろか)しこは何事(なにごと)やらんと匈月(むね)もをどりて臥(ふし)たる一間(ひとま)をはせいでければ家(いへ)の主(あるじ)両手(りやうて)に物(もの)を提(さげ)水あがり也とく/\裏(うら)の掘揚(ほりあげ)へ立退(たちのき)給へといひすてゝ持たる物を二階へ運(はこ)びゆく勝手(かつて)の方へ立いで見れば家内(かない)の男女狂気(きやうき)のごとく駈(かけ)まはりて家財(かざい)を水に流(なが)さじと手当(てあたり)しだいに取退(とりのく)る水は低(ひくき)に随て潮(うしほ)のごとくおしきたり已(すで)に席(たゝみ)を浸(ひた)し庭(には)に漲(みなぎ)る次第に積(つもり)たる雪所(ところ)として雪ならざるはなく雪光暗夜(せつくわうあんや)を照(てら)して水の流(ながる)るありさまおそろしさいはんかたなし余(よ)は人に助(たす)けられて高所(たかきところ)に逃登(にげのぼ)り遥(はるか)に駅中(えきちゆう)を眺(のぞめ)ば提灯炬(ちやうちんたいまつ)を燈(とも)しつれ大勢の男ども手(てに)々に木鋤(こすき)をかたげ雪を越(こえ)水を渉(わたり)て声(こゑ)をあげてこゝに来(きた)るこれは水揚(みづあがり)せざる所(ところ)の者(もの)どもこゝに馳(はせ)あつまりて川筋(すぢ)を開(ひら)き水を落(おと)さんとする也闇夜(あんや)にてすがたは見えねど女童(をんなわらべ)の泣叫(なきさけ)ぶ声(こゑ)或(あるひ)は遠(とほ)く或は近(ちか)く聞(きく)もあはれのありさま也燃残(もえのこ)りたる炬(たひまつ)一ツをたよりに人も馬も首(くび)たけ水に浸(ひた)り漲(みなぎ)るながれをわたりゆくは馬を助(たすけ)んとする也帯(おび)もせざる女片手(かたて)に小児(せうに)を背負(せおひ)提灯(ちやうちん)を提(さげ)て高処(たかきところ)へ逃(にげ)のぼるは近(ちか)ければそこらあらはに見ゆ命(いのち)とつりがへなればなにをも恥(はづか)しとはおもふべからず可笑(をかしき)事可憐(あはれ)なる事可怖(おそろし)き事種々(しゆ/゛\)さま/゛\筆(ふで)に尽(つく)しがたしやう/\東雲(しのゝめ)の頃(ころ)に至(いた)りて水も落(おち)たりとて諸人安堵(しよにんあんど)のおもひをなしぬ○そも/\我郷(わがさと)雪中の洪水(こうずゐ)大かたは初冬と仲春とにあり此(この)関(せき)といふ駅(しゆく)は左右人家(じんか)の前(まへ)に一道(ひとすぢ)づゝの流(ながれ)あり末(すゑ)は魚野川(うをのかは)へ落る三伏(さんふく)[ママ]の旱(ひでり)にも乾(かわ)く事なき清流水(せいりうすゐ)也ゆゑに家毎(いへごと)に此流(このながれ)を以(もつ)て井水(ゐすゐ)の代(かは)りとししかも桶(をけ)にても汲(くむ)べき流(ながれ)なれば平日の便利(べんり)井戸よりもはるかに勝(まされ)りしかるに初雪(しよせつ)の後(のち)十月のころまでにこの二条(ふたすぢ)の小流(こながれ)雪の為(ため)に降埋(ふりうめ)られ流水は雪の下にあり故(ゆゑ)に家毎(いへごと)に汲(くむ)べき程(ほど)に雪を穿(うがち)て水用(すゐよう)を弁(べん)ずこの穿(うがち)たる所も一夜の雪に埋(うづめ)らるゝことあれば再(ふたゝび)うがつ事屡(しば/\)なり人家(じんか)にちかき流(ながれ)さへかくのごとくなればこの二条(すぢ)の流(ながれ)の水源(みなかみ)も雪に埋(うづも)れ水用(すゐよう)を失(うしの)ふのみならず水あがりの懼(おそれ)あるゆゑ所(ところ)の人力(ちから)を併(あはせ)て流のかゝり口の雪を穿(うがつ)事なりされども人毎(ひとごと)に業用(げふよう)にさゝへて時を失(うしな)ふか又は一夜の大雪にかの水源(すゐげん)を塞(ふさ)ぐ時は水溢(あぶれ)て低(ひくき)所を尋(たづね)て流(なが)る駅中(えきちゆう)は人の往来(ゆきゝ)の為(ため)に雪を蹈(ふみ)へして低(ひくき)ゆゑ流水漲(りうすゐみなぎ)り来(きた)り猶(なほ)も溢(あぶれ)て人家に入り水難(すゐなん)に逢(あ)ふ事前(まへ)にいへるがごとし幾(いく)百人の力を尽(つく)して水道(すゐだう)をひらかざれば家財(かざい)を流(なが)し或(あるひ)は溺死(できし)におよぶもあり○又(また)仲春の頃(ころ)の洪水(こうずゐ)は大かたは春の彼岸前後(ひがんぜんご)也雪いまだ消(きえ)ず山々はさら也田圃(たはた)も渺々(べう/\)たる曠平(くわうへい)の雪面(せつめん)なれば枝川(えだかは)は雪に埋(うづも)れ水は雪の下を流れ大河といへども冬の初より岸(きし)の水まづ氷(こほ)りて氷の上に雪をつもらせつもる雪もおなじく氷りて岩のことく[ママ]岸(きし)の氷りたる端(はし)次第(しだい)に雪ふりつもりのちには両岸(りやうがん)の雪相合(あひがつ)して陸地(りくち)とおなじ雪の地となるさて春を迎(むか)へて寒気次第に和(やは)らぎその年の暖気(だんき)につれて雪も降止(ふりやみ)たる二月の頃(ころ)水気(すゐき)は地気(ちき)よりも寒暖(かんだん)を知(し)る事はやきものゆゑかの水面(すゐめん)に積(つも)りたる雪下(した)より解(とけ)て凍(こほ)りたる雪の力も水にちかきは弱(よわ)くなり流(ながれ)は雪に塞(ふさが)れて狭(せま)くなりたるゆゑ水勢(すゐせい)ます/\烈(はげ)しく陽気(やうき)を得(え)て雪の軟(やはらか)なる下を潜(くゞ)り堤(つゝみ)のきるゝがごとく譬(たとへ)にいふ寝耳(ねみゝ)に水の災難(さいなん)にあふ事雪中の洪水(こうずゐ)寒国の艱難(かんなん)暖地(だんち)の人憐(あはれみ)給へかし右は其一をいふのみ雪中の洪水地勢によりて種々各々(しゆ/゛\さま/゛\)なり詳(つまびらか)には弁(べん)じがたし
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