そもそも越後国は、北方の
我が国、初雪を視る事遅きと速きとは、其の年の
註:
八海山(はっかいさん) (はっかいざん)
牛が嶽(うしがたけ) (うしがだけ)
金城山(きんじょうさん) (きんじょうざん)
駒が嶽(こまがたけ) (こまがだけ)
兎が嶽(うさぎがたけ) (うさぎがだけ)
国会図書館・信州大学の改訂版では、山(さん) 嶽(たけ) 濁点なし。
ヘルン文庫・早稲田大学の初版では、山(ざん) 嶽(だけ) 濁点あり。
陰陽のイメージ図
「北西は陰」 「東南は陽」
越後の海沿いは、北西の海に対して陽。山側は陰。
陰陽は相対的なものなのであろう。
参照リンク:
私の北越雪譜 初雪
単純翻刻
○初雪(はつゆき)
暖国(だんこく)の人の雪を賞翫(しやうくわん)するは前にいへるがごとし江戸には雪の降(ふら)ざる年もあれば初雪はことさらに美賞(びしやう)し雪見の船(ふね)に哥妓(かぎ)を携(たづさ)へ雪の茶(ちや)の湯(ゆ)に賓客(ひんかく)を招(まね)き青楼(せいろう)は雪を居続(ゐつゞけ)の媒(なかだち)となし酒亭(しゆてい)は雪を来客(らいかく)の嘉瑞(かずゐ)となす雪の為(ため)に種々(しゆ/゛\)の遊楽(いうらく)をなす事枚挙(あげてかぞへ)がたし雪を賞(しやう)するの甚(はなはだ)しきは繁花(はんくわ)のしからしむる所也雪国の人これを見これを聞(きゝ)て羨(うらやま)ざるはなし我国の初雪を以てこれに比(くらぶ)れば楽(たのしむ)と苦(くるしむ)と雲泥(うんでい)のちがひ也そも/\越後国は北方の陰地(いんち)なれども一国(いつこく)の内陰陽(いんやう)を前後(ぜんご)すいかんとなれば天は西北にたらずゆゑに西北を陰(いん)とし地は東南に足(たら)ずゆゑに東南を陽(やう)とす越後の地勢は西北は大海に対(たい)して陽気也東南は高山連(かうざんつらな)りて陰気也ゆゑに西北の郡村(ぐんそん)は雪浅(あさ)く東南の諸邑(しよいふ)は雪深(ふか)し是阴阳(いんやう)の前後(ぜんご)したるに似(に)たり我住魚沼郡(わがすむうをぬまこほり)は東南の阴(いん)地にして・巻機山(まきはたやま)・苗場山(なへばやま)・八海山(はつかいさん)・牛(うし)が嶽(たけ)・金城山(きんじやうさん)・駒(こま)が嶽(たけ)・兎(うさぎ)が嶽(たけ)・浅艸山(あさくさやま)等(とう)の高山其余他国(かうざんそのよたこく)に聞(きこ)えざる山々波濤(はたう)のごとく東南に連(つらな)り大小の河々(かは/゛\)も縦横(たてよこ)をなし陰気充満(いんきじゆうまん)して雲深(ふか)き山間(やまあひ)の村落(そんらく)なれば雪の深(ふかき)をしるべし [冬は日南の方を周(めぐる)ゆゑ北国はます/\寒し家の内といへども北は寒く南はあたゝかなると同じ道理也] 我国初雪(はつゆき)を視(み)る事遅(おそき)と速(はやき)とは其年(そのとし)の気運寒暖(きうんかんだん)につれて均(ひとし)からずといへどもおよそ初雪は九月の末(すゑ)十月の首(はじめ)にあり我国の雪は鵞毛(がまう)をなさず降時(ふるとき)はかならず粉砕(こまかき)をなす風又これを助(たす)く故(ゆゑ)に一昼夜(ちうや)に積所(つもるところ)六七尺より一丈に至(いた)る時もあり往古(むかし)より今年(ことし)にいたるまで此雪此国に降(ふら)ざる事なしされば暖国(だんこく)の人のごとく初雪を観(み)て吟詠遊興(ぎんえいいうきよう)のたのしみは夢(ゆめ)にもしらず今年(ことし)も又此雪中(ゆきのなか)に在(あ)る事かと雪を悲(かなしむ)は辺郷(へんきやう)の寒国(かんこく)に生(うまれ)たる不幸といふべし雪を観(み)て楽(たのし)む人の繁花(はんくわ)の暖地(だんち)に生(うまれ)たる天幸を羨(うらやま)ざらんや
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