2013年7月28日日曜日

随筆春城六種 北越雪譜の出版さるゝまで 15.一覧火中記

   一五 一覧火中記

 さて京山が馬琴より牧之宛の書状を内見してみると、茲に京山には黙視されぬことが書かれてあつた。試みに其内容を云うて見ると、牧之が雪譜の著述を京山に任せ、それが漸く成功せんとする場合に臨んで、馬琴は其功の全く京山に帰せんことを妬ましく感じたかの如く、例の馬琴の筆法で、実は雪譜の板元丁字屋(ちやうじや)には自分からも懇々頼んで置いた、その結果として丁字屋も快く引受けた、といふやうな事を書いて、非常に御為めごかしを云うてゐる。

其中に京山から言はすれば頗る虚偽の言を弄してゐる様な点が散見されるので、京山は一読大に憤つた。そこで早速筆を執り、馬琴の言に対して弁駁書を書いた。それは「一覧火中記」と題する四五枚のもので、さすがに痛快に駁して居つて、何人が読んでも馬琴が偽君子であることを思はしむるに足るものである。

一々此処に其長い文章を引くわけには行かぬが、全体馬琴という人は非常に自負心が強い人で、それが為めに往々非難を受けた。且つ著作者などといふものゝ癖として、兎角同業者間相互誹謗を敢てするが通弊で、馬琴亦此弊中の人たるを免れ得ないわけであるが、単に此時ばかりではない。それより後に至つて、馬琴の題せる雪譜といふ名を用ゐて居る事に就ても何か誇り顔に云々して、牧之に書状を寄せて居る位で、この「一覧火中記」の一番末に、京山は例の狂歌二首を載せて馬琴を罵倒して居る。
狐のみ人をばかすと思ひしに馬の狐にまさるにくさよ
乗せ掛てさて喜ばす馬なればひそかに人をけることもあり
これは勿論馬琴が「北越雪譜」の著述を引受け、長く牧之を悦ばせてゐて、到頭出来ずに終つた事を諷したのである。

 一体馬琴の性質として、一度自分の縄張内に入つたものを人手に渡すといふ事は余程遺憾とする方であるから、何かにつけて文句が起りはせぬかとは、予て京山も恐れ且つ期して居たのであつたが、馬琴の書状を見て、そろ/\起つて来たワイと感じたのである。それよりズツト後の書簡中にも京山は他日の事を心配して云々してゐる所がある。それは雪譜前篇を世に出して、それが若し成功したとなると、馬琴は或は書肆の方へ手を廻して、書肆の方から牧之に向つて後篇を馬琴に頼むやうに云はせて、後篇作者の野心を起さぬとも限らぬ。

どうか万一そういふ事が起つても、もう後篇の草稿は略々出来上つてゐるし、猶ほ其細目、図なんどについて相談の為めに京山が越後へ下ることに迄なつてゐるといふ事で御断りに相成りたいと、予め牧之に注意を与へてゐる。京山の此取越苦労に対しては幸に其事なくして済んだのであつたが、京山が斯く迄懸念したことも、馬琴の性格にそれ丈け彼れをして警戒せしむるものがあつたからである。

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