2013年7月24日水曜日

随筆春城六種 北越雪譜の出版さるゝまで 08.材料発見の喜び

   八 材料発見の喜び

 前にも少し書いて置いたが牧之が最初京伝に著作を頼んだ時、草稿は勿論、雪に関する図、其他雪国の種々なる用具、例へば橇(そり)、かんじき、雪下駄の類をわざと小さな模型に作つて多く参考に京伝の許へ送つてあつたものである。京山がいよ/\著作するについて、これ等のものは至極大切のものであるが、京山の家は不幸にしてこんな交渉を重ねつゝある間に火災に罹り、家財の幾んど凡べてを挙げて失つたので、其後土蔵を建て直すことなどの混雑があつて、京伝が牧之から預つてゐた材料を一時見失つてしまつた。此一事は京山の非常に悲んだ所であつたが、其焼失したと信じてゐた品が、後に焼けずにあつたのを発見した時の京山の喜びは名状す可からざるもので、其狂喜の情を牧之に報じた書簡には、細かな目録まで書き添へて左の如くしるされて居る。

  拙家此節土蔵建替申候に付、土蔵に納め置候雑具書籍の筥ども見世二階へ移し申候に付、火器用心の品は親類共土蔵へあづけ申候、依之亡兄手沢の抄録など取調べ申候内に小風呂敷に包、出火持退と申札紙付のものあり、ひらき見候へば前年貴君より御認め被下し二季雪話と申す横本の絵抄併に越後国絵図一枚、渋紙小筥の内に雪車、すかり、かじきの類の雛形あり、去年大火の節持出したるつゞら二つ焼亡いたし候故、右品も其内に焼け失ひ候事と残念がりしに、今此風呂敷包を得て泥中に玉を拾ひたる心地して、黄泉の亡兄を思ひ出し、万歳の貴老雪に御深切なるをかんしん仕候て三十年の昔、一日の如くに存候、云々」右申上候先年の図を見出し候故、先づは腹にのみ込み申候、しかのみならず九月末に奉公人召抱申候、此者は越後国魚沼郡千駄ヶ谷藤沢村百姓市二郎二男吉蔵、当年二十才に相成申候、老実の者にて此吉蔵に貴君の雪の図を見せ、これはかうであるか、これはかうかと受け給はり、前年の雛形を見せ、雪車の使ひ方、雪中の働き、其外雪のはなしきゝ申すと、一文不通の者故はなしも前後錯雑いたし、国の話をする時は一しほ国ことばに相成り、きゝわけ難き事多く、はからず一笑を催し申候、され共目前にはなしを其人に聞き候故発明の事も多く御座候
  曲亭よりも音信ありて、雪話の事私へも曲亭よりたのみたしとの事、上首尾安心仕候

これによつて見ると、幸にして失せたと思つたものが発見されたので如何に京山が喜んだかゞわかる。何にしても越後の事情を更に知らぬ作者が、書信の往復のみで材料を得るのだから、如何に模型を手許に送つて貰つたにしても、それがどう用ゐられるのか、江戸の人などが想像の及ぶ所ではない。然るにそれが雪の深い所のものを抱へ入れて、それに取敢へず雪の話を聞いた一齣の如きは、読んで頗る興味を感ずる話である。



註:
手沢 (しゅたく): 長年所持するうちについたつや。
老実 (ろうじつ): 物事に精通し、しかも誠実であること。

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