2013年7月28日日曜日

随筆春城六種 北越雪譜の出版さるゝまで 16.道楽ものゝ北馬

   一六 道楽ものゝ北馬

天保六年十月廿一日付の京山の書簡にも越後に行くことについて細々と書いて居る中に一笑を催させる文章がある。
来 春私遊筇の節、先触の事など御真情被仰下ありがたく、私も問屋帳にて往来すべき心掛也、北馬尊館へ逗留中厚く御取扱のよしは北馬よりも聞き申候、人之信は 万歳不消、北馬は酒色をこのみ候人物ゆゑ、尊堂逗留中も妓楼へ登り候事しば/\なる由も北馬かたに申候、私は二十年以来もとめて妓楼へ登る事をせず、又た ま/\富人に誘はれ妓席に連なり候事あれど閨房に入ることをせず、賢人顔して色を好まざるにあらず、頗る名を売り候故京山が如何なることを云ひしやなどと 其妓に尋ねる人もあるべし、閨中の語は何れ痴情なるものゆゑ一言に名を穢すもいや也、又一度限りにて再び其妓をむかへざれば遊里の情格を知らぬ奴と言はれ ても口惜く、寧ろ妓に近よらざるがまし也と、九年面壁之悟りをひらき候、江都の遊廓ですら如斯、況や村妓駅娼に於てをや、たとへ新潟之淫廓にたてこもる八百八後家ど(此間文字不明)めへつた孔明の八陣を布き八方より取りかこみ、ふんどしの旗をひるがへし虱の雨を降らすとも、京山文筆の矛先を以て突破り、先生さんわしにも扇を一本かいてくんなさろと降参せん事、余が胸中に在り、此義に於ては御安心可被下候
こ の書簡は、最早追々越後へ旅行の期が迫るについて、更に旅行出先きの事迄書き立てたものである。この先触れ、或は問屋帳といふ事は、今人には一寸分り兼ね るであらうが、苟くも徳川家の家来或は士籍に在るものゝ旅行に当つての特権ともいふべきもので、これが為めには尠なからぬ便利を得る。先触れを発して宿泊 所を定め、人足を徴発するなどのことをいうたのである。

又此書簡によつて牧之が北馬に交りのあつたことも知られるが、北馬は北斎の門人で、浮世絵を書いて相当に名声を得たものである。しかし永い間放埓をしてゐたらしいが、京山は北馬とは選を異にし、放埓はせぬというて独自の地歩を占めてゐることが文字の間に歴々としてゐる。

斯 くていよ/\天保七年の夏には京山は牧之を訪ふ事になつたので、約の如く、それ迄に是非雪譜三冊を版にして、それを土産に持つて行かねばならぬといふの で、其頃の書簡には頻りに版の督促をしてゐる事が書いてある。若し間に合はねば校正刷でも取揃へて持参しようと、気を揉んでゐることも書面の上に見えてゐ る。


註:
・九年面壁 (くねんめんぺき): 達磨大師が九年間壁に向かって座禅したという故事。
・八百八後家 (はっぴゃくやごけ): 新潟遊女の代名詞とされた。
・孔明の八陣: 諸葛孔明が考案したという八種類の陣形、または八角形の陣形。

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